篠山紀信が死去!写真界の巨匠が残した60年の軌跡とは?

写真の時代を築いた巨匠、篠山紀信さんが2024年1月4日に死去されました。

83歳だった。東京生まれの篠山さんは、宮沢りえさんのヌード写真集「Santa Fe」などで話題を呼び、多彩なジャンルで活躍しました。

妻は歌手の南沙織さんで、次男は俳優の篠山輝信さん。

篠山紀信さんの死に、多くの人が悼む。

SNSでは、「写真家として新しいことに挑戦し続けた方」「昭和から平成までの時代の風景を切り取った方」「女性の美しさを引き出す名人だった」と、篠山さんの業績を讃える声が寄せられた。「宮沢りえさんの衝撃的なヘアヌード」「山口百恵さんの魅力的な表情」など、篠山さんの作品に思いを馳せる人も多かった。

篠山紀信の死因と経緯


引用画像:NHK

2024年1月4日に死去

篠山紀信さんは4日、急激に体調を崩し、病院へ運ばれたが、そのまま亡くなってしまったと、芸術や芸能の関係者が語っている。

死因については公表されていないが、持病があったことや、年末ごろから調子が悪かったことが分かっている。

しかし、体調を崩す前は元気に活動していたという。

東京都写真美術館で開催中の個展「新・晴れた日 篠山紀信」に出席した最後の姿


引用画像:デジカメWatch

篠山紀信さんは、写真家として60年間の活動を振り返る大回顧展「新・晴れた日 篠山紀信」の内覧会に出席しました。

60年にわたる写真人生を振り返るインタビューの内容とメッセージ

大回顧展「新・晴れた日 篠山紀信」に合わせて、いくつかのインタビューを受けています。

その中で、篠山さんは自分の写真人生について以下のような内容やメッセージを語っています。

  • 写真は自分のおもしろく感じるものを気の向くまま好きに撮ってきただけで、被写体もテーマも技法も機材も多種多様である。
  • 1970年代は「写真の時代」であり、時代の旬な人や場所や出来事を撮ってはすぐ掲載する「晴れた日」シリーズは、自分の写真を象徴するものである。
  •  写真は感覚で、勘でやっており、写真で周りの人が喜んでくれるのが一番である。
  •  自分は写真が特別に輝いた時代に偶然ピタリと居合わせることのできた、幸運な写真家であり、「最後の写真家」と呼んでもらっても構わない。

篠山紀信の生い立ち・写真家への一歩


引用画像:X

写真家になることを決めた篠山紀信さんは、高校卒業後、日本大学芸術学部写真学科に進学しました。

しかし、それだけでは満足せず、東京綜合写真専門学校にも通って技術を磨きました。

学生時代には、広告写真家協会展でAPA賞を受けるなど、才能を発揮しました。

卒業後は、有名な広告代理店のライトパブリシティに入社しました。

篠山紀信生い立ち・写真界の巨匠として若くして名声を得る


引用画像:X

写真界の巨匠として、多彩なジャンルで活躍した篠山紀信さんは、若くして名声を得ました。

66年には「現代写真の10人」展に最年少で出展し、76年には日本を代表する作家としてベネチア・ビエンナーレに参加しました。

初期の作品では、「Death Valley」や「Twins」、「Nude」など、斬新な作風で注目を集めました。

デビュー以来、キャロルや玉三郎など、時代の旬を鮮烈に捉えた作品を発表し、73年には芸術選奨新人賞を受賞しました。

75年には「激写」という言葉を生み出し、流行語になりました。

篠山紀信さんは、日本の伝統的な家屋の姿を写真に収めた「家」シリーズを発表しましたが、同時にヌード写真にも挑戦しました。

1978年には、135人の女性との交流を綴った写真集「大激写 135人の女ともだち」が大ヒットし、篠山さんをメインにした写真雑誌「写楽」が創刊されました。

篠山さんは、20年間にわたって「週刊朝日」の表紙写真を撮影し、その中から女子大生シリーズを展開しました。

このシリーズからは、多くの有名な女優や女子アナウンサーが誕生しました。

60年代後半からヌー〇写真には定評があり、69年には沢渡らとともに全日本恥〇露出連盟(ゼンチロレン)を結成して会長に就任しました。

91年に女優の樋口可南子さんをモデルにした写真集「Water Fruit 不測の事態」で事実上、陰〇を解禁させ、続く宮沢りえさんの「Santa Fe」でブームを巻き起こした。

全国紙への全面広告でも話題を呼んだ「Santa Fe」は155万部を売り、同年のベストセラー7位、「不測の事態」は10位を記録しました。

篠山紀信が写真界に与えた革新的な影響


引用画像:X

篠山紀信さんが写真界に与えた影響を調べてみました。

時代の旬を鮮烈に捉えた「晴れた日」シリーズの特徴と評価

「晴れた日」シリーズの特徴

  • 撮影対象は、長嶋茂雄や輪島功一、オノ・ヨーコなど、誰もが知るアイコンだけでなく、政治家や社会運動家、芸術家や文化人、一般市民や風景など、多岐にわたります。
  • 撮影方法は、カメラやレンズ、フィルムや現像など、技術的な面でさまざまな実験を行いました。例えば、3台のカメラを連結して撮影した「シノラマ」や、カラーフィルムをモノクロに現像した「モノクロカラー」などがあります。
  • 掲載方法は、巻頭から何ページにもわたって写真だけで誌面を構成しました。また、表紙にも篠山さんの写真を大きく使いました。これは、当時の「写真の時代」を象徴するものであり、写真の力と可能性を示しました。

「晴れた日」シリーズの評価

  • 「晴れた日」シリーズは、写真史において画期的なものとして高く評価されています。写真家の森山大道は、「晴れた日」シリーズについて、「写真の本質を見事に表現した」と述べています。
  • 「晴れた日」シリーズは、当時の社会の空気やムードを生き生きと伝えるものとして、多くの人々に感動や共感を与えました。写真評論家の飯沢耕太郎は、「晴れた日」シリーズについて、「時代の並走者として、その瞬間を見逃さなかった」と述べています。
  • 「晴れた日」シリーズは、篠山さんの写真の原点であり、その後の作品にも影響を与えました。篠山さんは、「晴れた日」シリーズについて、「私が60年の写真人生でずっとしてきたことでもあります」と述べています

篠山紀信の代表作とその背景


引用画像:X

篠山紀信さんの代表作を調べてみました。

「家」や「晴れた日」などの初期の名作とその撮影秘話

「家」は1972年から1975年まで月刊誌に連載されたシリーズで、日本の伝統的な建築や家族の姿を撮影したものです。

篠山紀信さんは戦後の社会の変化や崩壊を表現するために、家を生活感のあるものではなく、美術的な対象として捉えました。

「晴れた日」は1974年に「アサヒグラフ」に連載され、後に写真集にまとめられたものです。

篠山紀信さんはこの作品で、当時の日本の政治や文化、芸能界の人物や出来事を撮影しました。

この作品は篠山紀信さんの特徴である「晴れの写真」と呼ばれるスタイルを示しています。

篠山は自分の作品について、撮影秘話というよりも、自分の生い立ちや時代背景、写真家としての姿勢や思想を語っています。

例えば、「家」を撮った理由について、篠山は次のように述べています。

  • 僕が生まれたのはお寺。幼い頃に立派な本堂、庫裏があった記憶がうっすらとあるんですが、戦争で秩父に疎開して、帰ってきたときには空襲で焼けてしまっていた。かろうじて薬師堂と閻魔堂が残っていただけ。あたりは一面焼け野原です。焼け野原で貧乏。僕の子供の頃の思い出はそこから始まるんです。ひどい状況の記憶から始まっている。みんなが貧乏だった時代だから、自分だけがひどい生活を送っていたとは感じませんでしたけどね。でも、焼け野原で貧乏だったことの反動はあるんですよ。

篠山の初期の名作は、彼の個性や才能だけでなく、日本の歴史や社会の一面を映し出しています。

「Santa Fe」や「TOKYO NUDE」などの話題作


引用画像:スポニチ

91年には、写真集「water fruit」でヘ〇の写った〇ード作品を発表。さらに人気絶頂の女優、宮沢りえさんを撮った「Santa Fe」が社会現象となり、〇ード写真集ブームを作り出しました。

 

「写楽」や「週刊朝日」などのメディアでの連載作品とその撮影コンセプト

「写楽」は、1980年に創刊された日本の月刊誌で、写真を中心にした雑誌でした。

同誌は、音楽を楽しむように写真を楽しむことをコンセプトにしており、女優やモデルを表紙に据え、有名写真家による〇ードや話題性の高いモデルを登用し人気を呼びました。

篠山紀信と時代を象徴する人物たちの関係


引用画像:美術手帳

篠山紀信さんと時代を象徴する人たちとの関係を調べてみました。

ジョン・レノンやイサム・ノグチなどの海外の著名人との交流と共作

ジョン・レノンとオノ・ヨーコは、1980年に篠山紀信にラストアルバム「ダブル・ファンタジー」のジャケット用の写真を依頼しました。

その写真は、ジョンが凶弾に倒れる直前の最後の2ショットとなりました。

イサム・ノグチは日本とアメリカの二重国籍の彫刻家で、篠山紀信は彼の作品や人物を何度も撮影しました。

篠山紀信はイサム・ノグチの作品について、「彼の作品は、自然と人間の関係を表現している。彼は自然の中に自分の作品を置くことで、自然と対話している」と語っています。

坂東玉三郎や野田秀樹などの日本の芸術家とのコラボレーションと評価


引用画像:講談社

坂東玉三郎は、歌舞伎役者で人間国宝です。

女形としての技巧と美しさは世界的に高く評価されています。ニューヨークのメトロポリタン歌劇場に招聘されたり、アンジェイ・ワイダやヨーヨー・マなどの芸術家とのコラボレーションを行ったりしています。

2019年には、高松宮殿下記念世界文化賞を受賞しました。

野田秀樹は、劇作家・演出家・俳優です。

言葉遊びとリメイクを特徴とする独創的な作品を生み出しています。

劇団夢の遊眠社を解散した後は、野田地図というプロデュース公演を行っています。

五代目中村勘九郎との新作歌舞伎のコラボレーションも話題になりました。

2011年には、京都賞思想・芸術部門を受賞しました。

山口百恵や宮沢りえなどのアイドルや女優との撮影とスキャンダル

篠山紀信さんは、1975年に雑誌『GORO』で歌手の山口百恵さんの特集で使い始めた「激写」という言葉で有名になりました。

山口百恵さんとは、その後も何度もコラボレーションをし、彼女の最後のアルバム『一恵』のジャケット写真も撮影しました。

篠山紀信さんは、山口百恵さんとの出会いを「30年に1度の幸運」と表現しています。

篠山紀信さんは、1991年に当時トップアイドルだった宮沢りえさんの〇ード写真集『Santa Fe』を発表しました。

この写真集は、日本で初めてヘア〇ードを公開したもので、社会的な衝撃と話題を呼びました。

篠山紀信さんは、宮沢りえさんの美しさと勇気を称えています。

篠山紀信さんは、他にも中森明菜さんや松田聖子さんなど、多くのアイドルや女優との撮影を行ってきました。

篠山紀信の遺産


引用画像:スポニチ

篠山紀信さんの写真家としての遺産を調べてみました。

「最後の写真家」としての自負と写真の時代の終焉への見解

篠山紀信さんは「最後の写真家」としての自負と写真の時代の終焉への見解について、いくつかのインタビューや著書で語っています。

篠山紀信さんは、自分の写真を「表層的」であると自認しています。

篠山紀信さんは、写真が持つ「永遠の嘘という真実」を追求し続けてきました。

女優や歌手などのスターを撮るときは、その人の魅力やイメージを最大限に引き出すことを目指しています。

篠山紀信さんは、「嘘を撮っているわけですよ。言ってみればそれは嘘を撮っているわけですよ。じゃあ女優さんの素顔、寝て起きて歯でも磨いている写真が、女優の本当の素顔なのかと言ったら僕はそうは思わない。誰が見ても素敵、ああこんな美しい人が、と思えなければいけない。それが僕は女優の真実だと思うんですよ」と述べています。

一方で、篠山紀信さんは、自分の写真が時代の変化に影響されていることも認めています。

篠山紀信さんは、デジタルカメラやスマートフォンの普及によって、写真の価値や意味が変わってきたと感じています。

「写真はもう終わりだと思っている。写真はもう、誰でも撮れるものになってしまった。写真はもう、特別なものではなくなってしまった。写真はもう、記録ではなくなってしまった。写真はもう、芸術ではなくなってしまった」と述べています。

しかし、篠山紀信さんは、写真の時代の終焉に対して、悲観的ではなく、むしろ好奇心を持っています。

「写真はもう終わりだと思っているけど、だからこそ面白いんだ。写真はもう終わりだから、何でもできるんだ。写真はもう終わりだから、新しいことに挑戦できるんだ」と述べています。

次世代の写真家へのアドバイスと期待

篠山紀信さんは、次世代の写真家に対して、自分の表現やエゴを見せることよりも、写真で周りの人が喜んでくれることを大切にするように勧めています。

「人に見せたい。喜んでもらいたい。それさえあれば私の表現は完成し、エゴはじゅうぶんに満たされます。この『利他性』に満ちた精神とでも言いましょうか、そんな境地にまで人を連れていってくれる強烈な力が、写真にはあると思いますね」と述べています。

篠山紀信の写真を見ることのできる展示や出版物の紹介


引用画像:東京都歴史文化財団

現在、東京都写真美術館で「新・晴れた日 篠山紀信」という展覧会が開催されています。

この展覧会では、篠山紀信さんの60年間のキャリアを概観しようという、極めて野心的な内容となっています。

展覧会の核になっているのは、1974年に『アサヒグラフ』誌で連載された『晴れた日』というシリーズです。

このシリーズは、その週の最も旬な人や場所や出来事を、撮ってはすぐ掲載し……ということを半年間続けました。

この展覧会では、この『晴れた日』の形式を用いて、二部構成で60年間にわたる篠山紀信さんの116作品を展示しています。

また、篠山紀信さんの写真を見ることのできる出版物としては、以下のものがあります。

『篠山紀信の「写真力」とは? その秘密を探る「超写真論 篠山紀信」』(2020年、小学館)

『篠山紀信の写真力 THE PEOPLE by KISHIN The Last Show』(2019年、小学館)

『アイドル 1970‐2000』(2018年、小学館)

その他、篠山紀信さんの記事 【衝撃の結婚生活の真相】篠山紀信の前妻(ジューン・アダムス)は激写に不満があった!

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